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三冠王について知りたい

野球好きなら一度は見聞きしたことがあるであろう栄誉「三冠王」ですが、実際どのくらいすごい称号なのかピンと来ていない人も少なくないでしょう。
2022年にはヤクルトの村上宗隆が三冠王を達成したことでも話題を呼びました。

今回は野球観戦をより一層楽しめるようにするため、三冠王にまつわるお話です。

目次

三冠王とはどのような称号?

野球は様々な数字で選手の成績が残されているため、何をもって「三冠」なのか?を意外と忘れてしまいがちです。
まずは三冠王の条件について改めて確認しておきましょう。

三冠王は一般的に打撃における称号

三冠王はペナントレースの期間中に1人の選手が「打率」「本塁打数」「打点」の打撃3部門でトップを獲得した選手に贈られる称号です。
大谷選手ような規格外の選手であれば二刀流でも獲得することも可能かもしれませんが、試合への出場数を考慮すれば実質的に野手専門の栄冠となっています。

この3つの成績はそれぞれ「首位打者」「本塁打王」「打点王」という独立したタイトルにもなっているので覚えておきましょう。
なお、野球選手の成績はセ・リーグとパ・リーグでそれぞれ集計されているため、1シーズン中に2人の選手が三冠王になる可能性もあります。詳しくは後述しますが、昭和末期のプロ野球では実際に1シーズン2名の三冠王が存在した時期があります。

実は投手にも三冠王がある

三冠王と言えば一般的に打撃分野のタイトルが連想されますが、実は投手部門にも三冠王が存在しています。
アメリカのMLBではシリーズ中に「勝利数」「最優秀防御率」「奪三振数」の3つでトップに立った投手を三冠王と称しています。一方日本のNPBでは「勝率」が重要視されていた背景から、2000年代に入る頃までは奪三振ではなく「最高勝率」が投手三冠王になる要素として見なされていました。
2000年代に入ってからはMLBの要件に倣っていますが、日本の投手三冠王は表彰の対象にはなっておらず正式なタイトルではありません。

三冠王の達成者は8名(12回)

野球界には野手・投手共に様々な個人タイトルが掲げられていますが、三冠王は中でも難易度の高い記録です。
例えば打撃部門で言うと1シーズン中に1人の選手が「打率3割以上」「本塁打30本以上」「盗塁30回以上」を成し遂げることをトリプルスリーと呼びます。
チームの攻撃面で大きな貢献を果たしたことを示す大記録であり、日本の野球史上トリプルスリーを達成した選手は1949年のNPB発足以降わずか10人(2023年4月時点)です。なお、トリプルスリーは山田哲人選手が3回達成しているため記録としては累計12回となっています。

投手部門の大記録と言えば、四死球を与えず相手チームから1人のランナーも出さない「完全試合」が挙げられるでしょう。完全試合の達成者は16人で複数回達成した選手は居ません(2023年4月時点)。
三冠王は日本のプロ野球史上12回の達成が記録されており、達成した選手はわずか8人です(2023年4月時点)。この数字を見るだけでも、三冠王の難易度が窺い知れます。

歴代の三冠王達成者たち

日本にプロ野球リーグが誕生した昭和期には、6人の選手が三冠王に輝きました。日本のプロ野球で初めて三冠王が誕生したのはまだ1リーグ制だった1938年のこと、当時東京巨人軍に在籍していた中島治康選手が達成しています。

この頃は「三冠王」という明確なタイトルがなく、打率・本塁打・打点の3つの部門でトップであったという事実のみが記録されました。三冠王という名称が世間的に定着したのは1958年頃であるとされています。

セ・パの2リーグ制が敷かれてから初めての三冠王達成は1965年、当時南海ホークスの主砲として活躍していた野村克也選手によるものです。
その後は1973年と1974年に読売ジャイアンツの王貞治選手が2年連続の戴冠、1984年には当時の阪急ブレーブスに在籍していたブーマー・ウェルズ選手が外国人選手として初めての三冠王となりました。

1980年代中期以降にはロッテオリオンズの落合博満選手と阪神タイガースのランディ・バース選手が複数回の三冠王に輝く快挙を成し遂げています。

なお、1974年に三冠王を獲得した王選手は当時34歳で史上最年長での三冠王達成でした(2023年4月時点)。

平成以降

1989年に元号が平成に変わって以降に三冠王を成し遂げた選手は当時福岡ダイエーホークスに在籍していた松中信彦選手と、東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手の2人です。松中選手は30年間の平成時代で唯一の三冠王達成者であり、2004年にタイトルを獲得しています。

本拠地であった福岡ドームはスタンドまでの距離が長いにも関わらず、トップタイの44本塁打という記録で三冠王に輝きました。
2022年に令和で初めての三冠王を達成した村上選手は当時22歳という驚異的な若さで、日本のプロ野球史上最年少での戴冠となっています。

1980年代の野球史を盛り上げた落合とバース

日本のプロ野球シーンはその時代ごとに様々な盛り上がりを見せていますが、1980年代は2人の打者が業界関係者ならびに野球ファンから熱い視線を集めていました。

それがロッテオリオンズの落合博満と、阪神タイガースのランディ・バースという2人の強打者です。

以下ではこの2人の三冠王記録について詳しく見ていきましょう。

落合博満(3回達成)

落合博満選手は1953年12月9日生まれで右投げ右打ちの内野手、パ・リーグのロッテオリオンズにはプロ入りの1979年から1998年にかけて在籍していました。

通算成績は打率3割1分1厘・2371安打・510本塁打・1564打点
という球界屈指の大打者です。

初めて三冠王に輝いた1982年の成績は打率3割2分5厘・32本塁打・99打点でした。また、安打数と出塁率でもリーグトップを獲得しているため五冠を達成しています。

当時、所属チーム全体の調子が芳しくなく順位はBクラスという結果に終わっていますが、それでも最優秀選手に選抜されるなど高い注目を集めています。

2度目の三冠王は1985年のこと、打率3割6分7厘・52本塁打・146打点という驚異的な記録を残しています。
この時の146打点という数字は2リーグを通じて歴代2位、パ・リーグではリーグ記録として2023年4月現在も破られていません。
落合選手の勝負強さが爆発的に輝いたシーズンであったと言って良いでしょう。

さらに翌年の1986年には3度目の三冠王に輝き、前人未到の三冠王の3回戴冠という大記録を打ち立てました。
当時の成績は打率3割6分0厘・50本塁打・116打点です。

2年連続の50本塁打は日本のプロ野球史上初めてのことであり、この年の出塁率0.4866はリーグ記録として2023年4月時点でも残っています。

ランディ・バース(2回達成)

ランディ・バース選手はアメリカ合衆国オクラホマ州出身の外国人選手、右投げ左撃ちで主な守備位置は一塁およびライトです。1972年にMLBでプロ入り後、1982年に阪神タイガースへ入団するために来日しました。
入団当初は調子が上がらずチーム内では早々に解雇まで検討されたものの、持ち前のパワーによる長打力と人柄が評価されチーム残留が決まります。

徐々にその実力を発揮し始めたバース選手は1985年の巨人戦にて3番打者として出場、後に「バース・掛布・岡田」のフレーズで知られるようになるバックスクリーン3連発の口火を切りました。

これがきっかけとなったのかその後は長打力を遺憾なく発揮するようになり、打率3割5分0厘・54本塁打・134打点という申し分ない成績で三冠王に輝いています。前述のようにこの年はパ・リーグで落合選手も三冠王を達成しているため、史上初めての両リーグ同時三冠王誕生として大きな話題を呼びました。
また、この年の阪神タイガースは2リーグ制導入後初となる念願の日本シリーズ制覇を果たしています。

その活躍からファンの間では「神様・仏様・バース様」という一節が流行しました。

翌1986年もバース選手の勢いは留まることを知らず、シーズン中は一時的に打率が4割を超えるなど驚異的な活躍ぶりでした。
この年の最終成績は打率3割8分9厘・47本塁打・109打点となっています。

特筆すべきはやはり打率であり、2023年4月時点でも破られていない日本プロ野球史上最高打率です。
なお、バース選手は2年連続で安打数・出塁率も併せて首位に輝いています。この年もまた落合選手とのダブル三冠王となっており、80年代の野球シーンを象徴する存在として2人の名前が轟きました。

それゆえR.バース選手は今なお歴代最強の助っ人外国人として名前が挙がる名選手なのです。

三冠王の歴史に思いを馳せながら野球観戦を楽しもう

野球というスポーツはチームゲームでありながらも、個人の素晴らしいプレーが輝く瞬間が多いというのもまた魅力です。
走・攻・守どのようなシーンでも、お気に入りの選手が活躍する度にファンは歓喜します。

打撃における三冠王はそんな個人技の高さを象徴するタイトルの1つです。チームの応援はもちろんのこと、三冠王達成がかかっている選手の活躍を見守ることも

野球の醍醐味と言えるでしょう。

これから先、村上選手が2回目を達成するのか?はたまた別の選手が達成するのか?暫く達成者は現れないのか⁉

興味は尽きませんが、近い将来に三冠王(トリプルクラウン)の達成者が現れるのを楽しみに今後も野球観戦をしていきましょう。

 

 

 

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